こんにちは。監督です。資産形成や老後の資金に関する情報や経済ニュースを発信しています。自由な生き方を応援しています。毎日朝7時に更新しています。
2年目になります
この記事で毎日更新が2年目に入ります。しばらくは毎日更新を続けていくつもりです。ネタがなくなる様なこともありますが、経済的に自由になれない方が少なる事を願っています。方法は簡単で多くを知っている事と行動をしていく事です。
一周年ですが、多くの事をしている監督ですが、その中で吹奏楽コンクールについて考えを述べたいと思います。監督は高校3年の時に全日本吹奏楽コンクールで金賞を受賞しています。今ほど、知名度が高くなかったのでその事にあまり興味がなかったというのがその時の実感です。今は無くなりましたが、当時は普門館で開催されていました。受賞をしたことは喜ばしい事です。時間が経つと実感はないが、その意義を考える様になります。
恵まれた環境
部活の練習時間は、17時30分までです。それ以降は、自主練習になります。合奏はこの時間に終わることが多いのです。他校はもっと遅くまで合奏をしていたと思います。大阪のY高は11時まで練習をしていました。他にも埼玉県のK校も千葉のK高もそうです。多くの時間を割いて曲を仕上げます。ですが、長時間できるのは土曜日か日曜日です。合奏は2時間もすれば終わりです。自然と集中して練習します。理由は時間がないからです。ですが、先輩方が作ってきた伝統がこの練習でも仕上がっていきます。定期演奏会も3〜4公演していましたが、1曲の練習回数は3回ほどです。顧問の先生が指導するのは1〜2回です。この環境が実は恵まれていたと思います。
スタープレーヤーが不在の普通の高校生
今、その当時の演奏を聴くと当たり前のことを自然としています。ですが、自分たちの学年はそれほど、ずば抜けた人はいませんでした。上級生が凄かっただけですが、逆にそれが良かったと思います。天狗になることもありません。2年上の先輩は手に届かないほどのレベルの人で、1つ上の先輩も自分よりも音もパワーも段違いでした。その影響だと思いますが、上手い人を聞いてもそう感じることがありません。上手いと感じる奏者が今の若い人も含めていないのです。ですから、自分たちの学年はチームワークしかありません。これは、簡単なようで難しいことです。
本題の吹奏楽コンクールについて
今でも多くの中学生や高校生が全国大会を目指して練習に励みます。多くの学校は気の遠くなるような練習をします。そこに、音楽的な意味があるのか自問自答しています。何を称して『金』『銀』『銅』になるのでしょうか。その答えは今でも分かりません。ただ、金賞を受賞した事実だけが残ります。実は、高校を卒業してから一つ下の代の演奏は聞きました。聞いて『金』だと思いました。結果も『金』でした。では、それまでの努力に差はあるのでしょうか。今は会場が大きくなり音量も大きいと音楽家や後輩などから聞きます。それは、母校も同じです。その演奏に何の価値があるか分かりません。箱に対してフォルテやピアノが決まることはあると思います。その音量を決めるのは、今は指導者でしょうか。奏者でしょうか。きっと前者です。生徒は先生の指示に忠実に従います。考えて演奏をしていません。先生が気持ちを合わせてというから合わせるのです。でも、音楽の本質は違います。奏者が聞いて、考えて他の奏者と合わせます。その表現に優劣もありません。楽譜をどのように読むかは本人次第です。そこにセンスがあるかないかです。
監督はコンクール否定派です
変な話ですが、コンクール自体に何か意味があるかと聞かれると音楽的に意味があることは少ないと思います。多くの学校がコンクール用の演奏をして、その演奏で優劣が決まるシステムなら意味は少ないと思います。ですが、コンクールを通じて得られることがあることも事実です。その多くは生徒ではなく学校や顧問の先生に対してです。多くの顧問の先生はそうではありませんが、違う方もいると聞いたことがあります。
注意すること
吹奏楽やオーケストラなど、学校の部活単位で多くのコンクールが存在します。コンクールを挑戦することは、悪いことではないと思います。ただ、金賞を目指す演奏をしていると本来できることが出来なくなります。多く聴衆が感動するのは、演奏者と観客が共に存在するからです。コンクールよりも定期演奏会や依頼演奏、小さな本番の方が多くのことを得られます。失敗することもあると思います。失敗も次に活かすことが大事になります。人生と同じです。生意気なことを言っているようですいませんが、今の中学生や高校生が楽しく音楽をしてもらえればと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます。今日はお金や経済のことではありませんが、通じることはあると思います。ご友人やご子息で音楽をされているなら、競争ではない音楽を楽しめることをお伝えください。それでは、また明日。
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